それは、彼らがペンギンの姿をした奇妙な魔族と出会う三日前のこと。
惣一、凪、杏子の三人はＳＲＣ島の中央商店街を歩いていた。『肉の得々』で聞き込みをして、はかばかしい返答を得られないまま出た帰りだった。
「にしても、不気味な肉屋だったよなぁ」
杏子がぼやいた。
「なーんか変な匂いがしてたじゃん。あれ、普通の肉の匂いかよ？ 動物みたいな匂いっつーか、なんか、それより嫌な感じの気配がしてた気がすんだよな。あたし、あんまりあそこへ近寄りたくないな」
「近寄らなくて正解だ。あの店主は悪い評判が絶えん」
ぶっきらぼうに言ったのは惣一だった。
「君子危うきに近寄らずという言葉もある。馬鹿と危険人物に関わって良いことなど何もない」
「そーだなぁ。……おっ、あれ、『黒鋼のストライバー』のカードダスじゃねーか！」
物憂げだった杏子の瞳が、近くのコンビニの店頭を目にしてにわかに輝いた。
「すげえ、新シリーズ始まってたんだ！ なんか、めっちゃ怪人増えてるじゃん。やべえ、ちょっと見てくるよ」
「おい、佐倉――」
惣一が止めるのも聞かずに、杏子は魚を目にした猫のように飛び出していく。そして、近くにいた男子小学生の群れに混じってカードダス販売機をいじり始めた。
「ふん。まるっきりガキだな」
惣一が、馬鹿馬鹿しそうに吐き捨てるのを見て、
「ふふっ」
凪が面白そうに笑った。
「……何がおかしい」
「いやね、あんたはよく杏子のことをガキガキって言うじゃん」
凪が指摘した。
「けどさ、そういうあんただって、社会的にはまだガキだろ？ 二十四だったっけ。社会人としては新入社員だし、就職してないことを考えれば社会人ですらない。学生なのを考えればれっきとしたガキだよね。ガキがガキと言ってるのは、結構よくある光景じゃないの。いや、別に悪気があって言ってるんじゃないけどさ」
「ふん……そのことか」
惣一は、怒るかと思いきや、素っ気なく肩をすくめた。
「自分の未熟と幼稚さは嫌になるぐらい知っている。俺が大人なら、もっとうまく物事を処理するだろうからな。ただ、だからといって自分より年下の人間がガキであることを否定する材料にはなるまいよ。佐倉からすれば、小学生はガキだ。そういうものだろう」
「まあね。それに、こう言いはしたけど、あんたは年にしてはガキらしくないよね」
凪は微笑した。
「二十四っていったら、まだまだ子供な部分が多いじゃん。世の中、三十になったって子供っぽい人間なんていくらでもいるもんだしね」
「くだらんな。老いて死ぬまでガキのままの人間もいるし、十歳で老成する人間もいる」
惣一は吐き捨てた。
「霧間、貴様こそ、女子高生のくせにガキっぽくないぞ。やたらに落ち着きがあるし、変に肩に力が入ることもない。そうしていると、数え切れない修羅場を潜ったプロのように見える。俺は貴様をガキ呼ばわりする気は起きんな」
「場数を踏んでるのは否定しないよ。十四歳の時に、十歳ぐらいサバを読んで疑われもしなかったこともあったしね」
凪は肩をすくめた。
「それにオレは病気なんだよ。ファザコンだったり、メサイアコンプレックスだったりね。普通じゃないのさ、オレは。別に良いことじゃない。さっきも言っただろ、子供は子供らしくしていられるのが一番なんだって。世の中がオレみたいな奴ばかりになったら、そんなのは終わってる」
「色々あったようだな。同情も詮索もする気はないがな」
「有難いね。で、あんたはどうして大人なんだい？ やっぱり幼少期に問題でもあった口なのかい」
「別に。俺の両親はまっとうな人間だし、人並みに厳しく、人並みに優しかった。まあ、俺の目から見て、軽蔑すべき人間でなかったのは、きっと俺にとって幸運だったのだろうな」
そういって、惣一は空を見上げた。
凪は、そんな惣一の横顔を眺めた。
「うらやましいね。オレは家庭に問題だらけの人間だからね」
「俺が大人に見えるとすれば、やはりクルセイド学園騎士団へ早くから入ったからだろう。俺は中学生から従士として入隊し、それ以来結構無茶をしてきた。その間に見えてきたのは、やはり騎士団というのは面倒な場所だということだ」
「面倒な場所、ね。会社も学校も、人間の集まる場所は、どこだって面倒だと思うけどね」
「騎士団は、とりわけそれが強い。武力組織であり、金も動くからな。給料こそ出ないものの、危険な任務に参加した時の危険手当や功績を挙げた時の褒章は、結構な額になる。真面目に騎士をしていれば、それなりの金額がたまる。だから騎士団はいまだに島一番の巨大生徒会というわけだ」
「他の生徒会と比べても、組織の規模がずば抜けて大きいものね。姫士組ネオユニバースや聖乙女学園警備隊も、騎士団ほどではないけど、文化系生徒会に比べてずっと大きい。治安維持系生徒会がそこまで大きくて伝統があるというのは、当然なにかを意味してるわけだね」
「少しでも頭の回る奴ならいやでも気付くだろうよ。気付かん奴は気付かんだろうがな。三財閥の肝いりで作られたこの島は、二万人からいる生徒や職員の半数以上が能力者だ。それも、迫害されたり、親からていよく厄介払いされたわけありの学生どもだ」
「やたらと不良が凶悪だったり、モンスターや不良との戦闘で死人が出たりしても、妙に話題にならないのはそのせいってことか」
「まあな。厄介払いした生徒が島で死んだとしても、親は気にもとめん。ふん、まったく腐った世の中よな。ともあれ、そんな学生の集まりだから、当然荒れる奴も出る。聖乙女学園などは日本中どころか外国の金持ちも子弟を預ける名門校だ。当然、かなりの金が動く。表の金だけじゃなく、裏の金もな。そして金が動けば、ワルどもも動く。だから不良が、いくら補導してもいなくならず、更生生徒会ダイナストハーツのような連中も仕事がなくならないどころか手が足りんありさまになる」
「島の外からの犯罪者も、いい隠れ場所だってことで集まってくるようだしね。ＳＲＣ島で、祇園会の残党やら城島派やらと手を組んで身を隠す犯罪者もいる。まあ、さすがにヤクザ組織が入り込んだりはしないようだけどね」
「どうだかな。この島には永遠之道をはじめとする裏社会の家の子弟も多く学生として来ている。裏の勢力は決して小さくない。ともあれ、そんな島で学生が強い自治権を持って運営しているのだ。生徒会が政府、三大治安維持生徒会が国防軍のようなものだ。笑える話だろう？ こんな奇妙きわまりない学校にいれば、嫌でも大人になってしまうのは仕方あるまい」
「まあ、ね。でも、騎士団にいても子供っぽい奴だっているだろう？ あんたは、わざわざ自分から面倒を買って出たから、そんな風になっちゃったんじゃないの」
「他の連中があまりにも無能で馬鹿だからだ。必然、俺が貧乏くじを引き受けることになる」
惣一は鼻を鳴らした。
「たとえば学園都市は、ＳＲＣ学園に比べて百倍以上の規模を持つ。それでも風紀委員の権限は騎士団や姫士組に比べてはるかに小さい。上位組織として、教員から構成される警備員ががっちりと頭を押さえているからな。だからあの連中は子供でいられるともいえる。騎士団の総代をしてる麻生の面をみろ。やつめ、まだ二十歳のくせに、いっぱしの政治家のような面をしおる」
「優しいんだね、あんたは」
凪は微笑した。
「……何だと」
「やっぱりあんたは、あまり若い者が早々と大人になるのは変だし、それは無理を押し付けられているからだと思ってるんだろうね。自分のような無駄な苦労を他の子に背負わせる必要はないってね。けど、やっぱりそれはお節介なんじゃないのかな。だって麻生さんも、自分から選んでその道に入ったわけなんだろう」
「……知らんな。貴様も甘い解釈が好きな女だ」
「そういうことにしとこうか。少なくとも学園都市はあのアレイスターのフラスコであるのに対して、ＳＲＣ学園はまがりなりにも、迫害された能力者たちの逃げ場として機能してるわけなんだしね。本土と隔離された人工島であることをとってもね。学生の自治権が強いのも、三財閥の優しさともとれるわけじゃないか。重信総帥や和義総帥は、この島があのフォルセリア王国のようになることを期待してるんじゃないか？」
「夢を見すぎだな。ここにも能力科学研究所のような場所もある。フラスコであることには変わりはない」
「まあ、ユートピアはどこにもないし、あるとすればそれはディストピアだとはいうけどね。けど、アレイスターみたいな絶対権力がいないってのは、やっぱりいいことだと思うよ。三校の校長や理事長たちはみんな理解のある人間のようだしね。少なくともオレは、この場所が嫌いじゃないよ」
「だといいがな。……ふん、ずいぶんと話がそれたものだな」
惣一は、むこうで子供たちと話し込んでいる杏子に目をやった。
「しかし今の世界が、ずいぶんと奇妙で、そして闇の深い世界なのは確かだろう。あの佐倉も、一見普通のガキに見えるが、あいつもあれで何かわけありのようだからな。奴が俺や貴様のように政治の泥水を飲んでいないのは、幸運なことかも知れんがな」
凪は頷いた。
「ああ。杏子はまともな奴さ。ちゃんと、十四歳の子供をしている。それが、今回の事件ではきっと力になると思うよ。あんたみたいな大人や、オレのような出来損ないにはできない何かが、ああいう『子供』や『少年』にはできる。そういうもんだと思うよ」
「少年、か――」
惣一はふと考えた。
「俺がくだらんしがらみにとらわれた人間なのは確かだ。しかし貴様はどうだ？ 俺の見る限り、貴様は自分で言うほどスレた人間のようには思えんのだがな。正義とか友情とか、そういうものをまだ信じている、ガキとはいわんが少年のように見えるぞ」
「どうだかね。オレがそれを信じているのは、青臭い信念というよりは、ただの未練のようなものかも知れないよ」
そう言って、凪は微笑んだ。自嘲のような言葉だったが、無理のない自然な笑みだった。それを見て、惣一は肩をすくめたが、まんざら嫌いではないというような表情だった。頑迷固陋といわれた惣一にそういう表情をさせるのが、凪の強さだといえるのかもしれなかった。
「お待たせー！ 見ろよ、ストライバーのレアカード手に入れたぜ！ 全財産つぎ込んだ甲斐があったなー」
散々販売機の前ですったもんだをやっていた杏子が、カードの束を手に、輝く笑顔で駆けてきた。
惣一と凪は顔を見合わせた。
「やはり、ああしていられるのは強みなのかも知れんな」
惣一の言葉に凪が笑った。
「だと思うよ。オレたちが失ってしまったものを、杏子はきっと持ってるさ。あいつもあれで過酷な過去があるようだけど、それでもああやって笑ってられるのは、杏子の強さだよ。……さてと、寄り道はこのぐらいにするか。ルーミアが待ってるだろうからね」
そして、三人は再び戦場へ旅立つ。
終わり